淡路島に天皇陵古墳があるのをごぞんじでしょうか?
ここ当麻陵は、皇位をめぐる争いに巻き込まれ、天平宝字8年(764)淡路島に配流された淳仁天皇の天皇陵古墳です。このため「淡路廃帝」ともよばれています。
淳仁天皇陵・当麻陵に行ってきました。
淡路島に天皇陵古墳があるのは、知っていましたが、今回初めて来ました。
西淡三原ICを下り西へ数分走っていくと、左に玉ねぎ畑の真ん中にいかにも人工的な山がみえてきます。
ひときわ目を引く神々しいほどの木々が生い茂ています。
前に駐車場がありますからそこに止めました。
目次
淳仁天皇陵・当麻陵
藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)が発生失敗に終わり、上皇との対立により仲麻呂との仲が深かったことを理由に廃位を宣告、親王の待遇をもって淡路国に流される。
だが、淡路の先帝のもとに通う官人らも多くおり、また都でも先帝の復帰お望む勢力が残っていた。
このような政治動向に危機感をもった称徳天皇は警戒の強化を命じ、廃帝は逃亡を図るが捕まり、翌日に院中で亡くなった。
公式には病死と伝えられているが、実際には殺害されたと推定、葬礼が行われたことを示す記録もない。長らく天皇の一人と認められず、廃帝または淡路廃帝と呼ばれいました。
宮内庁管理の案内板があります。
きれいに整備されこれ以上の立ち入りを許さないような空気がたちこめています。
近くにベンチがありましたから、座って少し休憩。
鳥のなき声しか聞こえない静かな場所です。
日々のストレスから解放されるような癒しの場所でした。
詳細
被葬者 | 淳仁天皇(第47代天皇) |
陵 名 | 淡路陵(あわじのみささぎ) |
陵 形 | 山形 |
所在地 | 兵庫県南あわじ市賀集 |
地図(淳仁天皇陵・当麻陵)
当麻夫人墓
淳仁天皇陵・当麻陵から西へ400mほどにあります。
宮内庁からの注意書き
みだりに城内に立ち入らぬこと
魚鳥等取らぬこと
竹木等取らぬこと
淳仁天皇陵・当麻陵と違い、駐車場もなく道も整備されていないので、いかれる時は、ご注意ください。
自分は、農道の脇に止めらせてもらい、あぜ道をあるいていきました。
地図(当麻夫人墓)
ここ淳仁天皇陵・当麻陵は、淡路島七福神めぐり護国寺~万福寺への途中にありますから、七福神めぐりの際には、近くあります、母親のお墓もありあわせておとずれてみてください。
家系図
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