難読地名多い古代文化の宝庫 淡路島

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淡路島に来た人が戸惑うことの1つが地名の読み方だ。

倭文(しとおり)、安乎(あいが)、炬口(たけのくち)、榎列(えなみ)…。

これらをスラスラと読める島外の人は少ないだろう。

なぜ、島内には難読地名が多いのか。

淡路の地名に関する著作もある淡路地方史研究会の武田信一会長の講演でのはなしである。

武田会長によると、地名の由来は地形(丸山、大川)や田畑(広田、奥畑)、交通(湊、泊)、信仰(一宮、八幡)、生産や行政(塩田、国衙)など土地の歴史や自然環境、人々の生活を伝えている。

では淡路に難読地名が多いのは理由があるのだろうか。

平安時代に編纂(へんさん)された「和名抄(わみょうしょう)」には当時の「国、郡、郷」の名称が記載されている。

淡路国には津名郡に「津名、志筑、賀茂、平安(あえか)(安乎)、物部、広田、都志、育波、来馬(久留麻)、郡家」の10郷、三原郡には「倭文、幡多、養宜(やぎ)、榎列、神稲(くましろ)(神代)、阿万、賀集(かしお)」の7郷(カッコ内は現代の地名)が記されている。

武田会長によると、現在残っていないのは「旧津名町」とは違う「津名郷」だけで、国・郡・郷合わせて20のうち19までは現代でも使用されている。

千年以上前の地名がこれだけ残っていることは非常に珍しく、丹羽基二氏の「和名抄郡・郷名消失率の調査」によると全国的に約60%の地名が消失。

和名抄に記された66国のうち、消失率の低いところでも丹後国37%、対馬国45%で、武田会長は「淡路国の約5%は驚異的な数字で郡・郷以外の地名の残存率も高いと考えられる」と解説する。淡路島は古代地名の宝庫なのだ。

地名が変わる理由は開発や合併、行政の変更などがあるが、淡路島で地名の変化が少なかった理由は武田会長も「政治的・社会的変化が比較的少なかったからでしょうか。正直、わかりません」。

島という地域性は対馬国45%、隠岐100%という消失率を考えると大きな影響があったとは言い難い。

昭和37年に「住居表示に関する法律」が施行され、洲本市内の地名が変更される際には反対運動が起きており、武田会長は「古い地名を大事にしようという気風があったのかもしれません」と推測。

だが、平成の合併で「津名郡」「三原郡」はなくなってしまった。

武田会長は「行政地名としては津名、三原はなくなったが、いまも普通に使われており、今後どうなるか」とし、100年後に残っているかどうかは歴史に委ねられる。

古代地名が読みにくいのは当時の文化や言葉が現代では理解しにくいためだ。古代織物の一種「倭文織(しつおり)」が由来の「倭文」、宮中儀式の設営、清掃を担当した「掃守(かもり)部」からきたと考えられる「掃守」、弓矢の的を作ったり、軍事を担当した「的部(いくはぶ)」に関係するとみられる「育波」などだ。

 和名抄に「神稲」(くましろ)と記された地名は神を意味する「くま」と稲(しね)がなまった「しろ」という説があり、「神稲」「神代」の表記がある。「神代」(くましろ)が「じんだい」と音読みに転じたと考えられる。「安乎」は和名抄で「安平」「平安」と表記され、「阿恵加」の読みが付いている。「あへか」「あえか」から転じ、江戸時代に現在の表記に決まったという。

 淡路の地名には千年以上前の言葉や文化、当て字による文字の変化など長い歴史の積み重ねが宿る。

「地名は無形の文化財」といわれるのもうなずける話である。

今回の講演は、地元民としても大変興味深いものであった。

 

 

 

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