偉人の足跡をたどる。政治家立木兼善と儒学者岡田鴨里

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偉人の足跡をたどる。

現兵庫県淡路市に生まれ、明治維新前後に活躍した政治家立木兼善(たちきかねよし)(1834~1909年)と儒学者岡田鴨里(おうり)(1806~80年)。

2人を特集したパネル展が、同市浦のサンシャインホールで開かれている。洲本市立淡路文化史料館所蔵の文献などを基に、郷土の偉人の足跡をたどる。2月12日まで。

郷土史紹介の市民グループ「益習の集い」が主催。昨年6月に淡路市役所で展示した内容を改善し、「地元の人が来やすいように」と立木の出身地・谷村(現仮屋・谷地区)に近い会場を選んだ。岡田は現王子地区出身。

展示は史料を撮影した写真が中心で、立木は福島県知事や沖縄県書記官に任じられた際の辞令など。岡田は淡路島出身の豪商・高田屋嘉兵衛の伝記を初めて著したとされ、その原稿などを紹介する。

 

 

 

経歴

立木兼善(たちきかねよし)

淡路国津名郡(現・兵庫県淡路市)生まれの徳島藩士族。明治2年(1869年)明治政府に出仕し、福島県権知事兼若松県権知事となる。明治3年(1870年)岩倉具視の内命により庚午事変調停のため、岩鼻県権知事小室彰と共に徳島に滞在するが、不調に終わり帰京する。明治4年(1871年)2月20日、中野騒動鎮圧後の中野県に権知事として赴任し、長野町に善光寺取締所を設置。県庁の長野移転を政府に上申し、同年6月22日、太政官布告を受け、7月25日に移転。同年長野県権令となる。明治6年(1873年)福岡県令に異動。西南の役に従軍。のち横浜裁判所長、元老院議官を歴任し、退官後は、石上神宮や松尾神社の宮司を務めた。

岡田鴨里 おかだ-おうり

1806-1880 江戸後期-明治時代の儒者。
文化3年8月10日生まれ。文政8年京都にでて頼山陽にまなぶ。師の遺志をつぎ「日本外史補」をあらわした。文久元年阿波徳島藩につかえ,洲本学問所教授となる。明治13年9月5日死去。75歳。淡路(あわじ)(兵庫県)出身。本姓は砂川。名は僑。字(あざな)は周輔。編著に「蜂須賀家記」など。

 

サンシャインホール

〒656-2305 兵庫県淡路市浦148-1
 

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